朔夜の夏祭 4  




「おまたせ〜!」
ぱたぱたと軽い足音が廊下の床板に響く。
近付く少女の気配に、遅え、と振り向きざま放たれるはずだった言葉は、残念ながら犬夜叉の口から出る事はなかった。
彼は口をぽかんと開いて、そこにいる少女に釘付けになる。
いつもの少女の制服に見なれた犬夜叉にとって、彼女が装う今宵の姿は、酷く新鮮に目に映った。少女が身に付けた単衣(ひとえ)――こちらでは浴衣と言っているようだが――は、白地にちらほらと桜の花びらを模した模様が咲いており、若い娘に似合いそうな柄だった。
それは薄桃から濃い桜色、そして、鮮やかな紅の色で布地を華やかに彩る。明るい色調の、けれど少女にぴったりの衣。
白を基調に淡い色目で纏めた衣を鮮やかな緋の帯で締め上げ、いつもは自然に肩先に垂らしている髪を軽く結い上げた姿に、犬夜叉は不覚にも見蕩れた。
「………」
しかし、彼の無言の態度を、かごめは違うように受け取ったようだ。
「…どこか変?」
母が太鼓判を押していただけあって、鏡の前で見た自分の姿はなかなかのものだと思ったのだけれど。彼の反応はといえば一言もなく、ただ呆(ぼう)と、こちらを見るばかり。
さては、どこかおかしな所でもあったのだろうか、と少女は考えた。
しかし、自分が着付けたのであればともかく、ママがしてくれてるのだから、間違ってないと思うんだけど…。
「違うよ、ねーちゃん」
「?」
「おかしなとこなんてないよ。犬のにーちゃん、ねーちゃんに見蕩れてただけだもん」
ごつっ。
途端、草太の目から盛大に花火が散る。
「痛った〜。 いきなりなにすんだよ、にーちゃん!!」
いくら手加減されたとはいえ、いきなりの拳骨に涙を目に浮かべ抗議する少年に、
「おめえが余計なこと言うからだ」
と不機嫌げに言葉を返すのは犬夜叉。
先刻の自身を的確に指摘されて、彼は酷く憤っているようだった。
しかし、そんな彼に更に追い打ちをかけるように草太の言葉が続く。
「ほんとうの事言ったからって、そんなに怒らなくても…」
ぎろり、と剣呑な光が犬夜叉の瞳に浮かぶ。
その視線に、草太はひっと小さく声をあげると大人しく口を閉じる。
「犬夜叉! 草太相手になに本気で怒ってるのよ、もう」
「うるせえ」
「まったく、素直じゃないんだから…」
ふう、とかごめが1つ溜め息をついた時、
「まあまあ、いいじゃないの。かごめの支度も終わったことだし、お祭に行ってらっしゃいな♪」
少女に僅かばかり遅れて姿を見せた母親は、相変わらずののんびりとした口調で、この場を締めくくった。
「気をつけて行ってくるのよ〜?」
「分かってるって、じゃ。行ってきます〜!」
からん、ころん。
からん、ころん、からん、ころん。
遠ざかる下駄の音に目を細めながら、少女と少年を見送った日暮家の玄関に佇む御婦人は、「あの娘(こ)、転けないといんだけど」と先程の娘のちょっと危なげな足取りを思い出し、くすりと微笑んだ。

***

からころと下駄を転がし、かごめは祭の喧噪の中を熱帯魚のようにひらひらと泳ぐ。それを見失わぬように犬夜叉も後に続く。
最初は、かごめ、草太、犬夜叉の三人で行動していたのだが、途中で草太は学校の友達に出会い、そこで二手に分かれたので、今は犬夜叉と二人きり。
嬉しいか、と問われれば、もちろん嬉しい状況なのだが…。
二手に分かれる直線、弟にちょいちょいと顔を寄せるよう言われた時を思い出して、かごめは苦笑する。あの時、弟は姉に小声でこう耳打ちした。
『お邪魔虫は消えるから、どうぞごゆっくり〜』
果たして何処まで意味を分かって言っているのかは謎だったが、にっこりと邪気のない笑顔でそう言われ、かごめは石のように固まった。そして硬直状態から、はっと我に返る。頬を朱に染めあげ、
「……な、な、なに言ってるのよ!」
と言葉を返した時には、既に弟は友達と一緒に数歩先に居て、姉を振り返るなり、じゃあね!、と言って人の波に消えた。
そりゃあ、嬉しいけどさ。
向こうでも二人っきりっていうのは、今ではあんまりないから。
仲間と一緒に旅をする身の上で、誰にも邪魔されずに二人でいられる事なんて、けっこう稀(まれ)なことなのだ。実際。
でも、此処までセッティングされちゃうのも、なんだかな〜、と思ってしまう。母や弟のお膳立ては有り難く思いつつも、こうも整えられてしまうと、なんだか妙に落ち着かない。
別に何か期待されてるわけでもないのだから、気にすることはないのだが。…ていうか、面白がられてそうな気はするけど。
犬夜叉の反応なんかは特に。
自分でも、可愛いと思う時あるもの。
ママならきっとそれ以上に可愛いとか思ってるんだろうな〜。
あの素直じゃないとことか。
でも顔には丸出しなとことか。
照れ屋なとこも、口べたなとこも。
あと、案外押しに弱いってとこもかな?
そう考えながら祭見物の人の波の中を歩いていると、無意識に微笑んでいたようで、犬夜叉が不思議そうな声音で言った。
「なに思い出し笑いしてんだよ」
「べつに〜」
少女は上機嫌の声音で答えた。
いいや、とにかく今は楽しんじゃえ。
お互い浴衣で一緒に歩く。
祭の賑やかな雰囲気を肌に感じて、屋台の出し物を目で舌で楽しむ。他愛の無い日常の一瞬。でも、なにより大切な時間。
生きるか死ぬかの隣り合わせの世界とは異なる、平穏でも愛しい世界。あたしが感じる楽しいと思うものと、犬夜叉のそれとは違うかもしれないけど。でも、経験は何よりも大きいものだと思うから。
口で説明するより、実際に目で見て、雰囲気に触れてみて、それで分かるもの、伝わるものもあると思う。
だから、感じて。犬夜叉。
あなたの知らない世界を。
楽しいことだって、まだまだあるってこと。
ちょっとでもいいから、気付いてよね。      




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