宵 櫻    よゐさくら







夜気を孕(はら)んだ涼やかな風が、緩い傾斜に立つ樹肌の上を優しく一撫でして通り過ぎた。
そっと揺らされた梢は、さわさわと葉擦れの歌を謳(うた)い、今を盛りと咲き誇って、たわわにしなる可憐な薄紅を散らす。
風に撫でられ、はらはらと舞う花弁の音も無く散るそのさまは、さながら天から降る雪華の如く儚く、その情景はまるで夢の中の出来事のように現実感が遠く、観る者の心を捉えて離さない。

<ただ、そこに在るだけの美しさ。

そんな美しさもあるのだと、声には出さず胸中でかごめは呟く。

(昔の人が、夜桜に惑わされるって言ってたの、なんだか分かる気がするわ)

少女は舞い散る桜花を時(とき)が経つのも忘れ見上げる……

はらはら。

はらはら。

暗闇の中。
仄かな月光を浴びて闇夜に浮かび上がるその白さ。
目に鮮やかな残像を残し、花片は静かに散りゆく。

はらはら。

はらはら。

樹の下でいっこうに飽くることも無く、くるくると螺旋の軌跡を描きながら、舞い降りる花片の乱舞に、少女は心を奪われていた。その光景を、少しばかり離れた場所から琥珀の瞳がじっと見つめる。 少女を見遣る金色(きん)の瞳の持ち主は、この夜の帳のうちでは分かりようがないのだが、目にも鮮やかな緋色の装束に身を纏い、絹糸のように光沢のある銀糸の髪を背に流していた。
時折、月光を反射して煌(きらめ)くその瞳は、人のそれとは違い虹彩が縦に割けている。それは獣が有する瞳であり、只人ではない証。

(よくも飽きずにああしていられるもんだよな…)

内心で半ば感心し、そして半ばは呆れて、少女が花と戯(たわむ)れているのをいつものお気に入りの場所である幹に腰を掛け、少年は眺める。
なぜ、彼がこんな処にいるのかと言えば、言い出したら梃子(てこ)でも動かぬ目の前の少女が唐突に、夜桜が見たい!、などと言い出したのがそもそもの事の発端(ほったん)。

彼女が言うには、なんでも向こう――かごめの生国である井戸の向こう――の世界では、これほど人の手を加えられていない山桜など、山の向こうも向こうもこれまた向こう、かなり離れた場所でしか拝めないというのだ。
まぁ、確かに幾度か向こうの世界に赴いた事のある犬夜叉に言わせれば、それも当然だと頷ける。あちらの世界には、見慣ぬ『こんくりーとびるでぃんぐ』なる建物が、そこかしこに立ち並んでおり、自然の樹や林や森などは、ついぞ見かけない。
こちらでは当たり前のように嗅ぐ事のできる、新緑の若葉の匂いや河のせせらぎを流るる清冽な水の匂いでさえ、向こうでは希薄(きはく)なそれでしかない。
唯一、例外的だったのは、かごめの生家の社(やしろ)の周りくらいなもので、後は本当に味気のない風景が広がるばかりだ。

…なので、少女の言い分も多少なりとは解かるのだが、自分たちを取り巻く状況が、楽観視できぬものであるのも知っている。いつ何時、奈落からの奇襲があるやもしれぬ、何らか罠を仕掛けてくるやもしれぬ可能性…。戦力が二分した時、その隙を突いて襲われようものなら、少女の命をむざむざと危険に晒す事になる。

荒事、難事はこちらの都合など一切考慮せず、いきなりやって来るものなのだ。
そんな理由もあって、犬夜叉としては出来得る限り、少女には単独行動は控えて貰いたいのが本音なのだが…。
かごめにはかごめの思惑があるのだろう。
一度こうと決めた彼女の意思を翻(ひるがえ)すのは、はっきり言って容易ではない。少なくとも、自分にとっては至難の技である。
元より、彼女に対して自分は強い事を言える立場ではなく。
結果、彼女の御供で犬夜叉は人気のないこんな場所にいる。
どうせ、自分の言い分など、彼女は聞きはしないのだ。
一人で行かせるくらいなら、いっそ一緒に行った方が気も休まる。
もしもの時には、自分がかごめを守ればいい。

そんな経緯で、半妖の少年と、時代を超えてやってきた少女の二人は、村の麓から少し外れた小高い丘の桜花の群集の中にいる。

はらはら。
はらはら。
 
薄紅の花弁は、くるくると旋回し、舞い散る。
見るとは無しに、ぼんやりと桜花と、それを見上げる少女を視界に収めながら、犬夜叉は、ふと心の内に沸き起こった疑問に捕らわれる。
それは、いつもは敢えて考えまいとしている事柄。

(いつまでこうして過ごす事ができるんだろうな…)

考えても栓の無い事だ。それは百も承知。
既に自分は答えを決めてしまっているのに。
最後は彼の巫女と運命を同じくする、と。
それなのに、心の奥でもう1人の自分はそれを承諾せず、その決心を頑としてとして受け入れまいともがくのだ。
前者は理屈。後者は感情。
頭ではそうすべきだと思ったところで、それに感情が伴うかと言えば、答えは「否」。
本心では、彼の巫女とよく似た、それでいて全然似ていない、いつも自分に笑顔を向けてくれる少女と、『共に在りたい』と、まだ…生きていたいと、そう願っている。

そんな資格など無いだろうに。

一体自分はどこまで彼女を傷つければ気がすむのか。
傷つけるつもりなど無くても、知らず知らずのうちに傷付けてきた。
今までも。
おそらくは、これからも…だ。
巫女の翳がちらつく度、彼女の顔は曇る。
でも、決して泣き言は言わない。
巫女に対しての怨み言や愚痴の一つでさえ、自分が耳にした事は一度とてない。
そんな表情をさせると解かっていても、彼女を手放せない。
そんな自分が嫌になる。
己が幸せにしてやりたいと願った者ほど、自分は不幸にしているのではないだろうか。 自分と関わらなければ、もしかしたら、幸せになれたのではないか?


さわさわと葉擦れの音(ね)を耳にしながら、少年は柄にもなく感傷的な気分になっていた。
いや、いつもは考えまいと胸の奥深く封じていたものが、今のように何かの拍子で深層から表層へと浮かび上がってきただけの事とも言える。

(目の前に彼女はいるのに)

手を伸ばせば触れる事も、温もりを感じて存在を確かめる事も出来るというのに、なぜか不安な心は波立ったまま静まることなく、彼をじわりじわりと追い詰める。

知っている。
覚えている。

桜は彼の巫女にも縁(ゆかり)のあるものだ。
薄紅の乱舞の中で彼女は儚く微笑んでいた。
幾度かの逢瀬の後、一緒に生きようと二人で誓ったこと。
その後の、互いを信じきれなかったがゆえの悲劇。
あれから、もう何十年も経った。
己は封じられたままの姿で、変わらず存在しているけれど。
苗木は若木へと成長し、幼子は成人し爺や婆になるほどの時間は確実に経過している。あの頃の事は、自分の中では数年と経っていないけれど、刻(とき)は留まることなく、確かに流れていたのだ。

見事なまでの桜の乱舞でさえ、見えているのに何も感じられず、その美しさは、紗(しゃ)がかかったように少年の心には、哀しい事に届かない。
ただ、散りゆく櫻花の白さだけが闇夜に際立つ。

はらはら。

はらはら。

いつしか目前の少女からも視線ははずれ、少年は音も無く螺旋を宙に描く花弁を見るとは無く目で追う。
地面を埋め尽くすのは薄紅のはずなのに、今見えるのは見渡す限り白。
それから思い起こされるのは、冬空に舞う雪華。
触れれば淡く解けゆく六花。
冷たさだけを残して、形無く消えゆく。

何も残さず…。


「犬夜叉!」

何かに魅入られたように、ただただ闇に舞い散る儚い花びらを見つめていた少女が、唐突にくるりと振り向きざま、少年の名を元気良く口にした。
突然己が名を呼ばれ、少年はびくりと肩をふるわせる。
咄嗟に返事が思い浮かばない彼がそれに無言で応じていると、少女はこちら向かって、てくてくと歩いてくる。
少年が腰を降ろしている幹のすぐ傍近くへにじり寄るが、彼の居る木陰は、さっきまでいた場所と違って月光が届かない場所。夜目の利かない彼女には、暗すぎる。なので、彼の表情を窺うため、下方から少年の顔をじぃっっと見上げる。
「難しい顔しちゃって…どうしたの?」
犬夜叉が無愛想なのは知っている。 だから、返事がなくとも、それはいつもの事なので、大して気に留めることではない。
ただ、気配が。
なんとなく危うい気配がした。
言葉で言い表すのは凄く難しいけれど。
目の前にいるのに、心あらずといった感じで――

少年は、木陰から、ちらりと少女に視線を走らせる。
が、すぐにかごめの目から顔を逸らして、ぼそりと呟く。
「……ちょっと考え事してたんだよ」
「ふーん?」
どこか納得のいかぬ顔をしつつも、少女は少年の様子を少しの間さぐってみる。
しかし、彼のほうに説明する気がさらさら無いのを察すると、それ以上追求するのは早々と諦めた。
こういう表情の彼には、何を聞いたところで無駄なのは経験上知っていたから。

少女は、少年の左手首をきゅっと掴むと、やや強引に引っ張っぱる。
木陰から、月光の差す場所へと。
「…?」
彼女の意図は分からないが、掴まれた手を犬夜叉は振り解けなかった。
決して、振り解けないというわけではない。
半妖の自分と、人間の少女の力の差は明らかだ。
けれど、触れ合う人肌の温もりが心地よくて。
なんとなく、振り解く気になれなかった。
樹上の少年を地に立たせると、少女は先ほど自分が居た場所へと半ば引きずるように歩きだす。
「おいっ…なんだよ」
強引に手を引かれ、やや訝(いぶ)しげな声を少年は発したが、対する少女は平然としたもので、構わず犬夜叉の手を引く。
「いいから いいから」
悪戯(いたずら)っけな笑みを含んで少女は微笑(わら)う。
その直後、少しばかり強い風が、二人の立つ緩い傾斜を駆けぬけた。
風の洗礼を受け、薄紅の花弁は盛大に舞い落つる。
互いの姿が、薄紅で隠れる程の花吹雪。
その中に、少女は少年を誘(いざな)う。

いまだ降り止まぬ花片の乱舞。
ふたつの人影の上に淡い薄紅は優しく舞い降りる。
それらは仄かな匂いとともに二人をふうわりと優しく包みこむように、くるくると旋回しては地に舞い降り、薄紅の絨毯を形成してゆく。
別段、眩しいわけでもなかったが、天をあおいで舞い落ちる花片を眺めながら少年は目を細める。
その間、掴まれた手首はそのままで離されることはなかった。
それは、離した途端に少年が逃亡するのを少女が見越したからなのか、ただ単に離すのを惜しんでそうしていたのか、それとも左程気にも留めない事だったのか、どれが理由なのかは判じ得ないが、とにかく少女が少年の手首を解放する気配はなかった。

掌から伝わる熱。
人肌のぬくもり。

(こういうの、厭じゃないんだよな。)
昔の自分ならば、たかだか人間の女になど、こうも言い様に扱われたりなどはしない。決して。
馴れ合いも同情も、そんなのものは昔の自分ならば唾棄すべきもモノだった。
他人に憐れまれるくらいなら、いっそ死んだ方がマシだとさえ、荒(すさ)んでいた頃には本気で思った。 その高い矜持こそが、辛い幼年期時代の少年を、今まで生き長らえさせたのではあるのだが…。

妖(あやかし)として生きること。
人間(ひと)として生きること。

半妖だからこそ、そのどちらも選べない。
どちらの種族も半分は同じ血が流れる眷属(けんぞく)だというのに、そのどちらもが少年の存在を忌み嫌った。そればかりでなく、彼の顔を見るなり、下卑た嘲笑を漏らし、言葉や視線で彼を蔑んだ。


卑しき半妖
おまえなぞ死んでしまえばいい
生きていても何の役にも立たぬ
生きる意味がおまえにはない
生きる価値もない
…ならば、
いっそ我等の血肉となるが良かろうぞ


馬鹿な妖怪どもに命を狙われ、殺されかけたことは両手両足の指を足しても数え切れない程。
闇の中、気配を殺して見つからないようにと震えた事とて、幾度もあった。
いかに彼が大妖怪の血を継いでいたとはいえ、年端もいかぬ少年の力など、たかだか知れたもの。…ゆえに、幼い彼は神経を磨り減らすように日々を過ごし、綱渡りのように、命を繋いできた。

信じられるのは己が爪と牙。
それらは決して彼を裏切らない。
誰も信じることなく、信じることの意味さえ知らず。
死んでいくのかと…そう思ったこともあったのに。


今はこうして、傍にいてくれる人がいる。
…独りじゃなく。
二人で。
こうしてここにいる。



かごめがいてくれる…





この手を振り払う事など、今の彼の力をすれば造作も無いことだったが、そうしようという気は起こらなかった。
周りには、いつも彼を冷やかす仲間の存在は無い。
この暖かさが、なぜか心地よくて。
もう少しこのままでいたい…・。


「綺麗だね〜」
頭のてっぺんや苔色の襟元を薄紅の花片で飾りながら、至極満足そうに少女は微笑(わら)う。
「ねえ、犬夜叉の感想は?」
「あん?」
「さ・く・ら。見てどう思った?」
「……別に、たかだか花だろ」
「もうっ、愛想ないなあ」
少女は情緒を解しない少年に、ぷうっと頬を膨らせる。

(せっかく、二人きりなのにな。 )

犬夜叉は楽しくないのだろうか。
これじゃあ、まるで あたしだけがはしゃいでるみたいだ。


綺麗な花を愛でること。
共に春の息吹を感じること。
一緒にこうして他愛のない安らかな時間を過ごせること。


好きな人と過ごせるならば、あたしはどんな当たり前な事だって嬉しいのに…。
いつも闘いに身を投じる立場だからこそ、こんな平和な時間は貴重なもので。 いままでの人生は、きっと幸多かったとはとても言えない少年に、少しでも楽しい気持ちや嬉しい気持ちを感じて欲しいから、あたしは自分が綺麗だと思ったものを彼にも見せてあげたい。
――だから、時々こんなふうに彼を連れ回す。
なんだかんだと文句は言うものの、不承不承ながらではあるが、最後は、自分の我儘を犬夜叉が受け入れてくれるのを知っていたから。
この世の中には、彼の知らない綺麗なものが沢山あるのだということに、ひとつずつでいいから、気が付いて欲しい。

そして、なにより…


『犬夜叉に生きてて欲しい…』


(あたしの願い、あんた、ちゃんと気がついてる?)

「…どうした?」
ふいに黙り込んだ少女に、少年は気遣わしげな視線を送る。
「ううん、なんでもない」
かごめは首を横に振り、するりと自分の腕を少年のそれに絡ませた。 途端に、犬夜叉は硬直して固まる。
彼の緊張が、絡めた腕から伝わる。

(ほんとに、分かりやすいんだから)

内心で、今は見えない彼の表情を想像して、くすりとかごめは笑みを浮かべる。
さぞかし、困った顔してるんだろうな…。
彼のそういう時の表情は、年相応で。
下手をすると、いつもよりも幼くも見えるけど、すごく可愛いの。
面と向かって言ったら、絶対口をへの字に曲げて、暫くはきっと口も聞いてくれないくらいに激怒しそうなので言わないけど。

普段、自分はこんな風に甘えたりしない。
ただ…今はなんとなく、彼の存在をじかに感じくて。
確かめたくて、自分から少年に手を伸ばした。
布越しだけど、彼の熱が伝わる。
生きている証(あかし)。

ちゃんと 此処(ここ)にいる

そんな当たり前な事に、あたしはひどく安堵(あんど)した。





布越しとはいえ、柔らかな感触と温かい体熱が伝わる。
そして、少女自身が有する甘い馨(か)。
互いの腕が、離れる気配は無かった。

人肌のぬくもりの感触は、ひどく居心地が良い。
… けれど、それは同時に、平素は封じている少年の欲望を掻き立てる。


かごめに もっと触れたい
もっと近くに お互いを感じたい
少女の華奢な躰(からだ)を抱き寄せて 
腕の中に閉じ込めたい…


少年の、 堪えていた想いが 溢れる。


痛っ。
急に腕を引かれ、背に力強い腕を感じたと思った次の瞬間、かごめは全身を緋の衣に包まれていた。
犬夜叉は、何の前触れもなく自分の腕の中に少女抱き寄せる。
… 恐らくは無意識の行動。 そうすることが自然な成り行きのように、少年は少女を抱(いだ)く。そこには、いつもの彼が有する戸惑いや迷いは、一欠けらとて見出せない。

突然の抱擁に、少女が声を出すのも忘れて吃驚しているうちに、背に回った少年の腕の拘束は、更に強まった。 言葉に出来ない想いを、そのまま態度で表したかのような…そんな、抱き方。

「犬…夜叉…? どうし……」
彼の力強い腕に抱かれて、息が苦しい。
なんとか酸素を確保しようと、少年の胸板を両腕で押し返そうと、多少もがいてみたが、かごめ如きの力では、びくりともしなかった。 それでなくとも、いきなりの抱擁に頭の中はパニックを起こしている。
わけが分からなくて、彼に問い掛けようとした言葉は、しかし、最後まで口にする事はできなかった。

唇に、湿り気を帯びた熱い吐息を感じたと思った次の瞬間、触れた柔らかい感触。
「……っ」
触れ合った後、すぐに彼の唇は離れ、今度は少し角度を変えてまた触れる。口付けはその後も、幾度も交わされる。 やがて、重ねられた唇の合間から、密やかな濡れた水音が零れ落ちた。少女は、少年の胸板を押し返すのも忘れて、彼の口付けを受けていた……。

少女の腰に回されていた少年の腕は、いつしか彼女の肩を抱き、手は漆黒の髪へと伸ばされる。五指に髪を絡めて少女の頭部をしっかりと固定すると、口付けの深度は更に深くなる。



月を天頂に戴き、夜空の星々は、きらきらと瞬いていた。
蒼い月光の下。
時折、吹く風に 薄紅は儚く散るゆく。

はらはら。

はらはら。

薄紅の舞う中、二人の人影は溶け合い、一つになる。
一枚、また一枚と薄紅が散る中。

ようやく、二人は密接していた身体を離し、少し距離をあける。
火照(ほて)った二人の頬を、吹き抜ける風が優しく撫でて通り過ぎ、その数瞬後、少年は、はたと気づいたように自分と少女を見比べた。
そして、ぼそりと呟く。
「わりぃ…こんなつもりじゃなかった」

さっきまでとは打って変わったような態度。目を逸らして、切なげに俯(うつむ)くその様は、罪を懺悔する咎人のようにかごめには見えた。
「なんで…謝るの…?」
「……俺には…資格がねえから」
「資格って…なんの?」
かごめの真摯な瞳が、犬夜叉を射抜く。
「おめえに触れる資格なんて…俺にはねえ。だって…俺は……」
酷く辛い表情で、なおも続きを言おうとする彼の言葉を遮るように、少女のひとさし指が、軽く少年の唇に触れる。
「?」
「……言わなくていいよ、あんたの考えてること、大体分かってるから」
少し、哀しそうな表情を浮かべ、少女は視線を落とす。
「…かごめ」
「でもね、あたしは思うの。人を好きになるのに資格なんて要らない、って。だって、気持ちは止まらないもん。好きになったら、自分でもどうしようもないもの。どうにも…ならないもの。」
「……」
「だから、謝らないでっ、ね?」
「…けどっ!」
なおも、何か言いかけようとする少年の言葉の途中で、少女は行動を起こした。つまり、爪先立つなり、自分にできる精一杯で腕を伸ばし、彼の頭を掻き抱いた。
「…っ!?」
少女のいきなりの抱擁に、少年は目を大きく見開く。
「あたしは、あんたが好き。
いろいろ…考えちゃうこともあるけど。それでも、好きっていう気持ちだけは止められなかった、…どうにもならなかった。」
「………」
「でもね、この想いはあたしのものだから。犬夜叉は無理に答えることないからね。あたしが勝手に想ってるだけだもん。」
「……かごめ?」
少女の細い肩が小刻みに震えているように見えるのは、果たして気のせいかだろうか。首に巻かれた腕を取り外し、表情を確かめようとしたが、意外と強く廻された腕は、簡単には解かれてくれなかった。
「かご…」
「ごめ…ん、もう少し…このまま…」
泣く気は、無かった。
いつものあたしらしく、元気よく、さばさばと割り切って、言い切ってしまうつもりだった。心配なんてかけたくなかった。
でも、本当の心は正直で。
気がついたら嗚咽を堪えるので精一杯。
泣くのなんて、一番卑怯だと思ってたのに、あたしの涙腺の蛇口は、いきなり壊れてしまった。閉めようと思っても、ちっとも、調整が効かない。

そうして、必死に嗚咽を押さえ込もうとするあたしの頭を、おずおずとではあるが、犬夜叉の大きな手が優しく撫ではじめる。
「…泣くなよ…かごめ」
耳元で、擦れた彼の声が聞こえる。
「…頼むから…泣かないでくれ………」
心底、困った声音がして、ぎゅうっと抱き締められた。それは、 さっきのような荒々しい抱擁ではなく、硝子細工や壊れ物を扱うかのような、そういった抱擁。

肩の震えが収まるまで、半妖の少年の大きくて温かい手を感じながら、少女は静かに目を瞑る。







もうちょっとだけしたら、いつものあたしに戻れる。
だから…おねがい
もう少しだけ 肩を貸していて――――

【終】