蒼天  ―souten―





天高く、蒼い空が視界に広がる。
頬を撫で吹き抜ける風は、いつの間にか涼やかさを帯びていた。
天を仰げば、白い雲は空の高い処で薄く細くたなびき、ゆるやかに流れる。
その様(さま)を見上げるだけで、なぜか心まで空と同じく綺麗に澄んでいくような、清浄になっていくような、そんな感じがする。
(気持ちいいな…)
まばゆい日差しに軽く目を眇め、左手で手庇をつくりながらも少女の顔には自然と笑みが零れる。
ここ数週間のうちに季節は随分と穏(おだや)かに変わっていた。
ついこの前までは暑くて堪らなかった強い日差しはなりを潜め、ここ数日では朝晩は少し肌寒く感じるほどだ。どうやら季節は確実に移ろっているらしい。
「んーっ」
両手を組み軽く伸びをすると、ふぅ、と一つ息をついて、少女はまた空を見上げる。
(このまま、この日差しの下で寝ころびたいたいって感じだよね。…でも、実行したら、きっと制服は草だらけになっちゃいそうだな。)
一瞬、草だらけになった自身の姿を想像し、自嘲気味にくすりと忍び笑いを漏らした時。
「なに笑ってんだよ、お前?」
「…っ!」
突然、少年の呆れた口調が頭上から降ってきて、かごめはぎょっとした。
いくら見知った彼の声であっても背後からいきなり声をかけられたら、きっと誰だって吃驚するに決まっている。―なので、びくりと身体を震わせた後、すぐさま振り返り叫んだ。
「なっ、吃驚させないでよ!心臓に悪いじゃないっ」
声を降らせた本人は、彼女の言いざまにむっとした表情を浮かべる。
「…んだよ、おめえがぼーっと空見上げて、こっちに気づかなかっただけだろ。人のせいにすんなよ」
機嫌悪げに少年は眉間の皺を深く寄せる。
「えっ?」
犬夜叉の言葉に、ぱちぱちとかごめは目を瞬(またた)かせた。
「…犬夜叉、結構前からいたの?」
「いちゃ悪いかよ」
言いざま、ふい、と顔を背ける少年の動きに合わせて真珠色の銀髪がさらりと流れた。
「………別に悪くないけど」
答えながら、少女はなんとなく居心地の悪さを覚えた。
どうも、自分が気づかなかっただけで、彼は少し前から其処(そこ)にいたらしい。―ということは、つまり先程自分が一人で苦笑いしていた様子も見られていた、という事か。
ぼっ。
頬に熱が集中する。
(恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。なんでよりにもよって、そういう場面を見られちゃうかな。)
己が醜態を見られ恥ずかしいやら情けないやらで、遣り切れない気持ちになったかごめは視線を地に落とした。

そんな少女の様子を、少年はちらりと横目でとらえる。
時折吹く風に、少女の肩ほどまで伸ばされた少々くせのある漆黒の髪が優しく揺れた。その拍子に、ほっそりとした少女の項(うなじ)が少し露(あらわ)になる。その姿に、どきり、として半妖は慌てて視線をそらした。
今は下方を見つめる少女の瞳。
正面から見れば、それはまるで黒曜石のような深い色をしている。
そして、その瞳はいつだって真っ直ぐで前を見る事を止めない。そう、例え何があっても。

穢れも汚れ知らない。
だからこそ誰よりも何よりも強い少女。

自分が焦がれて止まない存在。
守りたい、傷つけたくない、泣かせたくはない。
自分の傍らにいて笑っていて欲しい。

―ただ、いつの頃かそれだけでは足りない気持ちを自身で持て余すようになってしまったけれど…。


暫しの沈黙の後、少年が口を開く。
「…なぁ」
「なに?」
「なんでさっき笑ってた?」
「うーん…」
(やはり見られていたのか。)
ちょっと頭を抱えたい気持ちだったが、少女はそれに堪えた。
そして、彼の問いに答える。
「ちょっとね、思っただけなんだけどね。ほら、今日っていいお天気じゃない?空も清々しくって、空も高くて、陽気もぽかぽかしてて。だから、このままごろんって草の上に寝転んだらさぞ気持ちいいだろうな〜って思ったの。でもね、今のこの格好で寝転ろんだら、きっと葉っぱまみれになちゃうんだろうな、て自分で想像しちゃったら、なんだか笑えてきちゃって。」 
てへへ、と照れ隠しのように両肩を竦めて、かごめはそう言った。
「…ふぅん」
少年は気のない返事を返し少し考えこむ。
確かに今日の天気は爽やかで、気持ちが晴れるような感じなのは分かる。
屋内とは異なり、解放感のある原っぱでごろごろと寝転がりたいという彼女の気持ちが分からないわけではない。
しかし、彼女のあの奇異な装束でそれをするとなると…、少年はそう想像して頬を朱に染めた。
彼女の奇異な装束は、彼女の健康的な素足を惜しげも無く人目に晒す。 まあ、あんな短い丈なのを考えるとそれは致し方ないことなのだが…。
ここは楓の村だということで、村人達は彼女に対し、まるで巫女であるかのように接する。だから此処ではまず問題はないにしても、それはあくまでこの村内であればの場合だ。
戦国の今の世にあって、比較的穏かな村であるこの地でさえ、落ち武者や、野党などの脅威は存在する。彼女も一度、夜盗に攫われた事があるというのに、ややもするとその手の危機感が欠落していた。
井戸の向こうの彼女の元々いた世界では、その手の危険が無いせいもあるだろうが、彼女は、そういう危機感を忘れがちで、(なんせ、自分を殺そうとした俺の傍に、平気で寄ってきていたくらいなのだ)、無防備に単独で行動する事が偶(たま)にある。
無論、自分だとてむざむざ彼女を危険な目に合わすほど気はさらさらないが、傍にいなければ守ることすら叶わない。

そもそも、妖怪に対しては有効な彼女の破魔矢の威力も、人間に対しては何の役にも立たないのだ。
だからこそ、自分としてはそういう行動―単独での行動―は、少女自身の身の安全を保障出来ないものなので慎んで欲しいのだが、どうにも本人にはその自覚が無いらしい。ふと気づいた時に彼女の姿が見えず、焦って探す自分の気持ちなど、きっと知らないのだろう…。

随分と長く押し黙る少年に少女は問いかける。
「……ねぇ」
「なんだよ」
そう答える彼にかごめは少し恥ずかしそうに告げた。
「やっぱり呆れた?」
「…なにが」
「その…子供っぽいと思われたかな、って」
どうも、先の言葉の事らしい。(原っぱの上に寝転がりたい、と言っていた件だ。)
「別に思わねーけど」
「…けど、なに?」
疑問符が頭上でぐるぐると回っているらしい少女に、犬夜叉は一瞬目を合わせ、低い声音でぼそりと呟く。
「……そんな格好で寝転がるな。他の男(ヤツ)に脚が丸見えだろーが」
彼の言葉にかごめは目を丸くして驚き、やがて頬を朱に染めた。

―他の男(ヤツ)に脚が丸見えだろーが。

そう言われてみればそうだ。
この苔色のスカートはけっこう丈が短い。
向こうの世界では当たり前の格好でも、こちらでは見た事も無い奇異な着物でしかない。思い返せば、脚を露にしている人など見かけたことはほとんど無かった。という事は単に奇異な格好をしているというだけでなく、私ってば結構大胆な格好をしていたのかもしれない。その上、こんな姿で寝転んでたら、下手をすれば下着だって見えてしまう可能性だってあるかも…。
ぶるぶる、とかごめは頭を左右に降る。
その想像に血の気がさあああと音を立てて引いていく気がした。
(犬夜叉の前でパンチラなんて絶対厭ーっ!)
少女は心の中で絶叫した。

ばさり。

唐突に、少女の視界が闇に転じる。
犬夜叉が己が緋の上衣を脱ぎ、それを少女に投げて寄越したからだ。
緋の上衣は少女の頭をすっぽりと隠して被さり、かごめの視界は真っ暗になった。少女は最初は吃驚してきょとんとなっていたが、やがて、ごそごそと頭から緋の衣を外して彼を見る。
少年は視線を、ふいとそらせて何事かを呟いた。
「それでも被ってろ、他の男(ヤツ)には見えねーから」
その言葉を耳に拾い、かごめは我知らず、ふうわりと花が開くような笑みを浮かべる。

言った本人も、言われた当人も、頬は紅葉のように赤く染まる。
彼の緋の衣を被り直して、少女は小さな声で半妖に囁いた。
「…ありがと」





なんだかぎこちない私たち。
でも、
互いに寄せる心はきっと同じ。

大切で大事な君。
想うほどに焦がれる。

今こうしているように
ずっとこんな風に傍にいられたらいいね。

二人がこうして出会えた事は 奇跡のような偶然?
それとも 必然?
それとも 運命?


別に どれでも構わない。

私にとっては
今 こうして此処に居ることが全て。
あなたの傍にいることが全てだから。




(終) 

∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝
■アトガキ■
ゴメン。
ここまでが限界でした。<そして、甘くない。(涙)
なんていうのか途中まで書いたものとは別物になってます。
抱擁もちゅーも無し。  ただ、どきどきしてるだけ〜。(苦笑)
期待はずれですみません。

この後、同人誌にて続きあり。。