見送り


 少女が、現代へと戻ってまだ数時間。
 いつものように、幾日かしたら戻っては来るのだが、彼女がいなくなって、機嫌を損ねたままの少年のぴりぴりした気配が、同じ空間に居ると、嫌でも伝わってくる。

 ここは、桔梗の村。
 楓の住まいである簡素な小屋の中で、墨染めの衣を纏い、よく見ると整った顔の持ち主である年若い法師は、先程、採取してきたばかりの薬草を、床の上に広げて分けながら、背後の少年の方に視線を転じた。
 その視線の先には、おすわりを連発されたおかげで、腰くだけになり、楓の家の床上で顔中に”不機嫌”という文字を貼り付けて伏せっている半妖の少年の姿が映る。

(毎度毎度の事とは言え、かごめ様も大変なことだ。)

 年若い法師は、ほぅと一つ溜息をついた。
「これ、犬夜叉。お前はどうして、いつも素直にかごめ様を送り出してやれぬのだ。」
「……」
 法師の言葉は確かに聞こえているはずなのだが、少年はむっつりと口を閉ざしたままだ。

(やれやれ、ご機嫌ななめですな。)

 犬夜叉の不機嫌の原因は、かごめの不在だ。それは分かる。しかし、彼女は戦国時代のこちら側ばかりに居る訳にも行かないのも承知している。あちらの世界(彼女は現代とか言っているようだが)にも彼女の居場所はあるのだ。
 学校とか言うトコロで、「出席日数もある程度確保せねばならない」、「テストだって受けなくちゃいけない」など常々言っている。だから、今回のような旅の合間の休息を見計らって現代に戻る事も出てくる。
 それは仕方の無い事だ。いくら四魂の玉の欠片を探すのを優先した所で、こちらは生身の人間だ。傷も作るし負傷もする。法師として修行を積んだ己や、退治屋の娘の珊瑚でさえそうなのだ。ましてや、あちらの世界では普通の娘として育ってきた少女にしてみれば、体力的にも移動続きの旅を続けるのは辛いにちがいないだろう。

 休息は必要な事だ。自分達にとっても彼女にとっても。かごめが不在の時、自分は切れかけた薬草や薬の補充などを行い、退治屋の娘は、傷みの目立つ箇所の武器の手入れなどして時を過し、時には、この村の中心的な存在である楓の手伝いなどをして時を過す。目の前の半妖の少年はと言えば、傷を負って臥せっている時以外、何をするでもなく木の上に居たりする。ただ、ひたすら待つだけだ。彼女が戻って来るのを…。

「…だってよぉ、四魂の玉集めが出来ねえだろ。あいつがいないと。」

 長い沈黙の後、そう口を開く少年に、法師は視線を走らせる。
「それは建前でしょう。私が言っているのは本音の部分ですよ。それだけが理由ではありますまい。」
「何が言いたい?」
 険を含んだ物言いで、琥珀色の瞳が法師をじろりと睨む。
「かごめ様がいないと荒れますな、お前は。いやはや、分かり易い。」
 やれやれと肩を竦め、幾分か茶化して言う法師の態度に、少年の表情は更に険しさを増す。
「てめぇなあ〜っ」
 顔に青筋をたてて剣呑な気配を帯びてきた少年に向かって、弥勒はすっと神妙な表情になって言葉を紡いだ。
「かごめ様があちらに戻る時、どうして『帰ってくる』と言ってから戻るのか、お前は分かっていますか?」
「はっ?」
 いきなり質問めいた言葉を投げられ当惑する少年に、弥勒は更に言葉を継ぎ足す。
「言わずに戻る事だって出来るのですよ?お前の機嫌が悪くなるのを考えれば、言わないで帰る方がすんなり帰れるでしょうに…。それでも、わざわざ口に出してから戻るのは何故だか、考えた事はありますか?」
「それは…」
 応えようとして、しかし何故かの理由が皆目検討もつかず、途中で言葉を詰まらせる少年に、法師は言葉を続ける。
「お前を安心させる為ですよ。」
 目を丸くして、息を呑むのが気配で伝わってくる。
「どーいう意味だよ、それ。」
 語尾が多少擦れぎみなことに、果たして彼自身気づいているか分からぬ。
  が、ここは一つ教えておいた方が良さそうだな。そう心の内で法師は呟く。
「…ですから、言ったでしょう。言わずに戻る事だって出来る。なのに、わざわざ、こちらに言ってから戻るその理由は、”こちら側(戦国時代)にちゃんと戻って来る意思がある”からなんですよ。つまりは、お前の所に戻って来る、そーいう事だと、私は思ったんですけどね。」
「……」
 長い説明に黙って耳を傾けている少年をちらりと見やる。無言なのは、あれこれと頭の中でぐるぐると思考がまわっているからだろうか。どちらにせよ、自分は言うだけの事は言ったし、それをどう取るかは少年次第だ。
「どうやら、かごめ様の気持ちは伝わってなかったようですな。」
 トドメの言葉を刺されたのか、目の前の少年の口から、くぅと小さく唸る声が漏れた。

(全く、初[うぶ]な事だ…。)

 少年の少女に対する想いも、少女の少年に対する想いも、どちらも見ていて微笑ましいくらいに純粋だ。犬夜叉だって、惚れた女子[おなご]が目の前にいないのが不安なだけなのだ。言えば、きっと否定するに違いないので敢えて言いはしないが。

(ま・・・、あまり苛めても可哀相か…。恋しい想いゆえだからな。)

「私が言う事ではないかもしれませんが、もう少し、相手の事を考えておやりなさい。次からは、せめて快く見送ってやったらどうです。」
 少年は暫く沈黙を保った後、ふいっと顔を逸らし、短く応える。
「……ちったあ考えてやらあ。」


【終】

 

 



・・・・あとがき・・・・・・・・・・
「雪月花」のおまけ用で書いた物(↑)なんですが、ファイルの整理をしてたら奥底から発掘しました。自分でも何処にしまったのか分からなかったので、吃驚。せっかく発掘できたんで、UPしときます。(^^;)
犬夜叉と弥勒さましか出てこない、私にしては珍しいお話。
かごめが、ちゃんと口に出して「現代に戻る」と言う理由は、こうなんじゃないかしら、と私が勝手に思って書いたもの。法師様は、大人ですな〜。その点、犬は子供。何に関しても余裕が感じられません。いつも切羽詰ってます。いや、そんな彼も好きなんですけれど…。(笑)↑説得力無し。