ホシニネガイヲ





流星(ながれぼし)に願い事を3度唱えると
願いが叶うという

そんな言い伝えを少しでも信じたいと思うのは
愚かなことだろうか
祈ることは無意味だろうか?

けれど…少なくとも
私はそういう風に考えたりしない
大切な誰かの幸せを願うことは
『とても大切なこと』なんじゃないかって

…そう思うから


夜空に煌(きらめ)く星よ
願わくば 私の願いを叶えてください
我侭で意地っ張りで強情で
口が悪くて感情を表すのが兎角(とかく)下手で
人一倍寂しがりで人恋しいくせに
いつも強がりばかりを言っている      
本当は心優しい少年を
どうぞ お守りください…



 


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夜空にぽっかりと浮かぶ月。
田んぼの畦道から聴こえる涼やかな蟲(むし)の音。

日はすっかり落ち、数千の星々が闇夜に煌く頃、二つの人影が道を往く。
月光の蒼い光に照らされた人影のうち、一つはまだ年若い少年のもので、もう一つも年若い少女のものだった。
しばらくは、無言で畦道を歩いていたようだが、村の中心からやや外れ、辺りに民家の一つも無くなっているのに気づき、少年は憮然とした口調で、前を歩く少女に問いかけた。
「おい、 一体いつまで歩くつもりだ!」
「もーちょっと!」
そう少女は答え、少女はそのままぐいぐいと少年を半ば引きずるような勢いで歩を進める。
「あのなぁ、 そう言い続けてどれだけ歩いたと思ってんだ」
少年の声音は、不機嫌さを隠そうともしない。
そして、彼は眉間に深く皺を寄せて、更に言葉を紡ぐ。
「ちょっと散歩しよ、なんておめえが言うから付いて来てやったってのに、 どこまで散歩すれば気が済むんだ!?」
普通の人間ならば、少年の怒号に多少なりとも怖気づくものなのだが、しかし、目の前の少女には、爪の先ほどの効果も無いようだ。
少女は、ひたすら前に向けていた視線を、くるりと少年に向けなおすと、にっこり微笑(わら)って、こう言った。
「だから、 もーちっょとだから。 …ねっ?」

(〜〜〜っ!!)

上目遣いで無防備な表情を俺に向ける少女に、どきり、と少年の心臓が大きく撥ねあがる。
暗闇の中なので、きっと彼女の目には分からないだろうに、犬夜叉は自分の顔や犬耳が朱に染まったを気取られるのが厭で、唐突にふいっと顔を背(そむ)けた。
ふとした折、少女が見せる無防備な姿。
何の構えもない自分にだけ見せてくれる表情や姿。
何もかも委ねた全幅の信頼と、それでいて純粋でまっすぐな好意を視線に感じる。
そんな彼女を前に、俺が何を想うかなんて…きっと知らないんだろう。

そんな顔で見上げられると、理性が飛んでいってしまいそうで正直自分が怖い。
何かの拍子(ひょうし)で変な気になるとも限らない。
いや、そもそもこんな夜更けに散歩に出ようと提案するあたり彼女は間違っている。
俺はでおまえがだってこと忘れてるんじゃねーのか?

…などと考えてしまう。

とっぷりと夜は更けて、辺りはすっかり漆黒の帳の中。
そんな中、一体全体この娘は何処へ行こうというのか。
全くもって分からない。何一つ。
犬夜叉にはかごめの意図がさっぱり分からなかった。
乙女心というものにはさっぱり縁の無い半妖は、訳も分からぬまま彼女に手を引かれて夜の道を歩く。

自分の左手をぐいぐいと捕(とら)らえて離さず、先を急ぐ少女の手の熱さを感じながらも、犬夜叉は、己の我慢の限界が近いことを自覚した。
もともと、忍耐とか我慢する、などといった単語には、とんと縁(えん)のない身だ。
いままで我慢していた事さえ奇跡に等しい。

これ以上は、流石に自分の行動に自信が持てない。
(なにしろ、彼女は里を離れて、どんどん人気の無い場所に歩を進めていたので。)
これで、変な気になるな、というのは無茶な相談だ。
その気になっても仕方ない。
寧ろ、この状況で何も思わないでいろ、というのは酷だった。
半妖とは言え、そうであるまえに彼とて健全な青少年であり、一人の男なのだ。

…というわけで、まこと、彼にとっては辛い状況だった。
そんな内なる心の葛藤もあって、彼は不機嫌さを押し隠そうともしないで、無愛想に、帰るぞ、と口に出そうとした、その時――。

「ほらっ、見てみて!」

手を引かれ、彼女の指差す方向に目にした瞬間、目に飛び込んできたものは無数の光の乱舞。
光は漆黒の暗闇の中、命の輝きを灯していた。
満面の笑みで彼を振り返ると、耳元で少女は囁いた。

「ねっ?綺麗でしょう」

河の浅瀬に飛び交う蛍の群集。
その姿は何処か幻想的でさえある。
儚い生命を懸命に生きる輝き。
まるで小宇宙を見ているかのような光景。
彼女はこれを自分に見せたかったのか。

「……」

「凄いよね、こんなにいっぱいの蛍なんて私も初めて見た」

河を流れる涼やかな清流の音に、密やかな鈴虫の音が、りりりと混じる。

「ここ、楓ばあちゃんから教えてもらったの」

立ち話もなんだったので彼女は彼に座ろうと促した。
息を呑んで物言わぬ少年に、かごめは微笑を浮かべつつ、二人して共に河の浅瀬近くに座り込み、幾百、幾千の光の群集に目を奪われる。

「犬夜叉と一緒に 見たかったんだ…」

少女はぽつりと零すと、照れたようにへへへと笑った。

(俺と一緒に…?)

犬夜叉は、どこか信じられない、といった様子で小さな声を上げた。
その囁きは、とても小さなものであったのに、かごめの耳には届いていたようだ。
少女は少年の驚きの色を含んだ目をちょっとのあいだ見詰めると、彼の左腕に両腕を廻し、肩口に自分の顔を押し付けた。
少女の大胆とも思える行動に、少年があわあわと動揺を表し始めたその時―。

「綺麗なものは、やっぱり好きな人と見たいじゃない」

ぽそっとかごめが呟く声がした。
恥ずかしそうに、どこか声が掠れた感じがしたのは、自分の気のせいだろうか。

「っ…」

少女の言葉に少年は絶句し、獣の耳がぼっと赤く変じた。
いや、変じたのは、なにも獣の耳ばかりではなく、彼の頬も同様のようだった。

 「一人で見るのも綺麗だなって思うんだけど、二人の方が もっと綺麗だって思えるんだよね」




そんな優しい言葉を、嬉しい言葉を
いつだって自分に与えてくれるのは隣に寄り添う少女
…なぜか胸の奥が熱い
彼女の一言で自分はこんなにも救われる

ここにいても いいんだと  そう思わせてくれる
優しい彼女の匂いと 腕と肩口に感じる熱が 堪らなく愛おしく思えた



「…かごめ」

名を呼ばれ、こちらに顔を上げたかごめの顔は月の蒼い光に照らされて。
その表情はとても綺麗で。

「ん?」

顔をあげると、睫(まつげ)が触れるくらいに近い距離に、犬夜叉の顔があった。
いつもは鋭い雰囲気を放つ黄金の目は、今はとても穏やかで、優しい感じがする。表情も、いつものしかめっ面ではなくて、なんだか年相応――とは言っても彼は半妖なのだけれど――な表情だった。

彼の開いた右手が、かごめの顎をとる。
くいっと上向かされて、少女の心臓はキスの予感にどくどくと早鐘を打つ。
少年は自分の顔を少女の顔に寄せて、ゆっくりと目を閉じた。
さらり、と少年の銀髪がかごめの頬に触れる。
その絹糸のような感触に半ばうっとりとしながら、頬を朱に染めあげた少女も、それに呼応するかのように目を閉じた。
少年の唇がかごめのそれを優しく覆う。

最初は触れるだけ口付け。
次は少しだけ深く。
その次は、少年は少女の背に腕を廻してぎゅっと抱きしめると、更に深く口付けた。僅かに空いた唇の隙間から、少年の舌は歯列を割って進入し、逃げる少女の舌を追いかけ、絡め取った。最初は逃げ惑っていた彼女の舌も、次第に彼のそれとと溶け合い、互いを激しく貪る。

「ん…ぅ…っ」

少女の熱い吐息が、小川を流れる水音と、すだく虫の音に混じる。
長い口付けの後、透明な糸を引いて唇が離れるのを、気恥ずかさを感じながらも伏目がちに少女は見ていた。


少し距離が空いた二人の合間に、一匹の蛍がすうっと舞い降り、淡く光る。
まるで夜空に咲く雪花のように美しく、儚いその姿。
けれど…美しい。
暫し、犬夜叉の肩に止まっていた蛍は、休息の時が過ぎたのか、再び夜空へと飛び立った。小さな灯りが、ふわりと空へと浮かび上がる。
その姿を目で追いかけていると、闇空にきらりと光が瞬いた。

瞬いた光は、天頂から地平線の彼方へとあっという間に駆けてゆく。
一瞬の出来事に、犬夜叉とかごめは息を呑んだ。

「……!」

「ねぇっ、 今の流れ星 見た?」

滅多に見ることの出来ない自然の贈り物 ――さきほどの流れ星――に、かごめは目をキラキラと輝かせて、実に嬉しそうに言った。
そうして喜んでいる少女の姿に、我知らず犬夜叉の顔がほころぶ。

そんな彼女の様子があまりも可愛いらしく愛おしくてならない
ずっと この腕の中に 閉じ込めておきたいくらいに…

無防備に晒された、普段ではけして見ることの出来ない彼の柔らかい表情に、一瞬、かごめの目は奪われる。
数瞬、放心したかのように犬夜叉を凝視していると、かごめの視線が痛かったのか、少年は決まり悪げに、ぼそりと言った。

「…なんだよ」

「今、犬夜叉 笑ってた」

「…へっ?」

「凄い『にこーっ』ていう顔してた」

「…!!」

その言葉に、ぼっと顔から火が出るように赤くなる。

「凄い可愛かったよ〜っ」

「なっ… 」

かごめの台詞に、犬夜叉は酸欠の魚のように口をぱくぱくとさせていた。

言うに事欠いて『可愛い』などと、男が言われて嬉しい言葉ではない。
断じてない!!!!

「あのな〜っ、どこの世界に女に『可愛い』って言われて喜ぶ男がいる!?」

顔に青筋をピクピクと立てながら、憤怒の表情で少年は少女に詰め寄るのだが、対する少女の反応は、それに恐れおののく気配は微塵も無く…。

「え〜っ、 だって可愛かったから可愛いって言っただけじゃない」

「おまっ…、 また! また言ったなっ!! (怒)」

少年の怒髪天を突くかの如くの形相は、しかし、またしてもかごめには効果がなかった。寧ろ、その反応は面白がられているようで…。

「も〜っ、 なに照れてんのよ〜v」

「違うっ。 そーいう問題じゃねぇっ!!」

会話の応酬は、犬夜叉に関してはどんどん地団駄を踏む子供のような次元になっていた。何を言っても、かごめには軽く返されてしまう。

「照れ屋さん♪」

「だから、 違うって言ってんだろっ!!!!!!!!!!(大怒)」

声をあらん限り振り絞って、抗議を口にするが。

「分かった分かった」

じと目で少女を見遣り、力無く少年は呟いた。

「…… ぜってぇ 分かってねーだろ。 俺のことからかって遊んでるだろ…」

「…………」

しばし、かごめの沈黙が続く。
やがて、悪戯っ気を含んだ表情で、犬夜叉を見上げ、一言。

「…ばれた?」

「……っっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

声にならない叫びをあげて、犬夜叉の怒りは頂点に達した。
からかうにも程がある!
限度ってものがあるっ!!
そ、それをこの娘ときたら…っ!!!!

ぷつん。

犬夜叉の堪忍袋の緒が切れた。

「こらっ! 待ちやがれっ!!!!!!」

「待たないよ〜っ」

小走りに逃げる少女を、少年が追いかける。

「てめぇ…っ!!」 


二つの人影は、やがて小さくなって、麓の方へと消えていった。
後に残るは、河を流るる静かな水音と、涼やかな虫の音。
そして、漆黒の暗闇の中、無数に灯る蛍達だけ…











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偶にはこんな他愛のない一時だって 過ごしたって罰は当たらないよね…?
流れ星には 願いをかけ損なったけれど
その代わりに夜空に煌くお星様にお願いしよう

どうか どうか この人をお守りください
死の翳からお守りください
そして 幸せになれますように

生きることは辛い事も多いけど
楽しい事もあるのだと――

世界はこんなにも光に溢れていて美しい
その事に気づいてくれるように

だから お願いです
あの人を死なせないでください…

 

 

【終】