死んじゃいそうだよ。


これって絶対なにかの病気かなんかに違いないよ。
だってこんなこと今まで無かったんだ。
君がぼくにふわりと微笑むたび風邪でもないのに頬が熱くなって息が苦しくなって、君が戻してくれた心臓が壊れるんじゃないかと思うくらい早鐘を打つんだ。
ふとした折に指先が触れただけでも、そうなる。
君の存在を感じるだけでも幸福を感じるぼく。
でも、こんなに心臓を酷使していたらきっとぼくは死んでしまうね。
しあわせ過ぎて死んでしまう。

「ねえ、ソフィー。どうしよう? ぼく死んじゃいそうだよ。」

いつものような城の主の唐突な言葉に今度は一体なにを言い出したのかしら…と言いたそうな表情で銀髪の少女は手にした箒を動かす手を少し休めました。気配を感じさせずいつの間にやら背後に立っていた端正な顔立ちをした麗しい黒髪の青年は動く城の主ことハウルその人です。彼は薄青の綺麗な瞳を潤ませて少女を見つめています。きっと聞けば下らないことに違いないんだろうなとは思いつつ、ここで無視して延々纏わりついて掃除の邪魔をされるよりは素直に彼の相手をしたほうが良さそうだと短いながらも今までの経験からそう学んだ少女は口を開きました。

「どうしたの、ハウル。なんで死んでしまいそうだなんて言うの?」

彼女の問いかけに彼は泣き出しそうな一歩手前の顔と心細い声音で答えます。

「だって、おかしいんだよ。」

「…なにが?」

「ぼくのココ、苦しいんだ。
君を想うと君の笑顔を見ると君の身体に触れると苦しくてたまらなくなる。」

そう言いながら男の人にしてはえらくきれいで大きな手が彼女の手首を掴み彼の左胸の上――ちょうど心臓の真上の部分――に押さえつけました。布越しとはいえ薄手の白いシャツの上からも彼の心臓がどくどくを脈打っているのがソフィーには分かります。

「こんなに忙(せわ)しなく動いてたらぼくの心臓はきっと長くは持たないに違いないよ。だからもうすぐ死んじゃうんだ。嗚呼、愛する君を残して先立つぼくを許しておくれ」

と悲劇のヒロインよろしく――あえてヒーローとは言いません!――芝居がかった仕草で酷く悲しげな目で真剣に言いつのるその姿にソフィーは堪えきれずぷっと吹き出してしまいました。
本気で自分の心臓がどこか悪いと思い込んでいる青年(※注/あまりにも長い間にわたって自身の心臓を火の悪魔に預けていたのでここ最近の心臓の暴走の原因を残念なことに彼には全く分からないようでした。)は彼女の様子に悲愴さを更に深めます。
いつだったか彼女が彼の呪いをめちゃくちゃにして髪をオレンジ色にしてしまった時のように頭を抱えこんで「なんたる絶望!なんたる悲しみ!ぼくはこんなにくるしんでいるって訴えているのにソフィーはちっとも分かっちゃくれない!悪夢だ!嗚呼、絶望だ…!!などと口走る始末です。
あとちょっとで厄介千万以外の何者でもない緑のねばねばの再来か!?と思われた時。

「なに莫迦なこと言ってるの、そんな簡単に死んだりするわけないでしょう。」

しゃがみ込んだ彼と目線をあわせるために彼女も自らも腰を折り床に膝をつきます。
呆れたような、でもどうしようもないわねと言いたげな慈愛に満ちた声音が室内に落ち、ねばつく寸前の彼の頬に少女のほっそりとした白い手が伸びました。手早く青年の頬を包みこむと彼女は彼の顔に自分の顔を寄せます。
ちゅっ。
かわいらしい音がして自分の唇に彼女のそれが触れたのだと理解した青年は目を大きく見開きます。さっきまで
ねばつく気満々(?)だったのですが思いもよらない彼女の行動でその気持ちは嘘のように霧散してしまいました。

「………ソフィー?」

滅多にない彼女からのキスの衝撃にいまだ呆然としたままのハウルの様子にソフィーはまるで小さくて可愛いものを見るような柔らかい視線を投げかけます。

「ほんと、莫迦なんだから。」

「……・・・・・・」

「心臓が無かったことの長いあなただからきっとすごく吃驚したんでしょうけど、そんなことで死んだりはしないわ。心が戻ったからいきなりで振り回されちゃってて恐かったかもしれないけど。誰だって…そうなのよ?」

誰もがあなたみたいな想いをしてるの。
心があるから大事な人の笑顔を見てどきどきしたり手を繋ぐだけでもそうなったりするものなの。
ちっともおかしくなんかないのよ。
そう説明する目の前の少女の綺麗な笑顔に、自分の心臓の鼓動が早まるのを感じながら彼はたどたどしい口調で問いかけます。

「……ソフィー…も…?」

「え?」

「ソフィーもそうなの?」

ぼくと同じようにどきどきしてるの。
この左胸に収まっている心臓が壊れそうなほど、ぼくを想ってくれているの。
真摯な瞳でそう問えば彼女は頬を薔薇色に染めて小さな声で囁くように「そうよ」と答えました。
その言葉を聞くやいなや彼はしゃがみこんでいた体勢からぴょこんと立ち上がり満面の笑みを浮かべると彼女の腰を両腕で支えて居間の床の上で急にくるくると回し始めました。

「きゃあああああああああああ!」

彼女は悲鳴をあげて静止の意を込めて彼の頭をぽかぽかと叩くのですが上機嫌に輪をかけた魔法使いにはまるで効果がありません。なぜなら彼女の言葉はこの魔法使いを有頂天にさせるほどに嬉しい言葉だったのですから。

「嗚呼、君ってほんとうに最高だよ!」

2005/06/19