静かな想い





動く城の階段下に、深緑色カーテンだけで仕切られ急拵えでつくられた小さな寝室。
先ほど戻ってきたばかりの城の主は、静かにその深緑色をしたカーテンの前に立つ。一見無表情にも見えるが、幾ばくか疲れた表情をそのままに極力音を立てないように静かにカーテンを引いた。そして中を覗き込む。

――――やはり、君なのか。

何も言えず、ただ胸の内で紡がれた言葉は、彼自身を少なからず打ちのめした。揺
れる碧玉に映るのは、掃除に明け暮れていた腰の曲がった老婆ではなく、五月祭に出会った若い娘の姿だった。
驚愕はしなかった。
そうでなければいいとは願っていたが、そうかもしれない、という予感が現実として目の前に姿を表しただけ。自分の予想が外れてくれればいい、という果敢ない願いが砕けただけのこと。
起きている時には老婆の姿、そして眠っている時にだけは本来の姿へ戻る、という至極厄介な呪い。
それに「戻る」とはいうものの、それが眠っているときだけだなんて、とても彼女の救いになるとは思えない。下手に知ると絶望の影が増すだけなので、とても言えたものではない。また、カルシファーも看破しているようだが、彼女自身が知らずにかけてしまっている呪いとが、複雑に混じりあって酷くこんがらがってしまっている。どちらかひとつだけなら、時間さえかければ容易に解除する方法もあろうものを。2つの呪いが、呪いを更なる強固なものとしている。更に呪いとはいえ、老婆の姿は見た目のみならず、体そのものも強制的に老婆にされているのだから、悠長に時間をかけてもいられない。恐ろしいことだが、呪いの解除に手間どれば残りわずかな寿命を終え、命の灯を消すのが先になるだろう。

――そんなことはさせないけれど。

初めて彼女が城に現れた時、ハウルはその身に強い呪いを受けていることには気が付いていた。いくら姿形(すがたかたち)が変わろうとも、それが呪いによるものであれば、一流の魔法使いを自負する自分がその魔力を見落とすはずがない。
ぼくのせいだね。君が”あの人”だと思って、声をかけて。
……その結果が是か。
自分が招いた事とはいえ、あまりの運命の仕打ちに、人目も憚らずいっそ大声で泣き叫びたくなる。
あの路地裏で君の姿を目にした時。
ぼくがどれほど嬉しかったか、君にはきっと分かりはしないだろうね。灰色鼠ちゃん。
髪の色が違う、長さだって違う、雰囲気も。
だけど、
直感が走った。
君こそ、ぼくが探し求めていた”彼女”だと。
そう確信したというのに。
長年待ちこがれた彼女に、自分の所為でこんな理不尽な呪いを強いるだなんて、ほんとに最悪だ。
彼女に呪いをかけたのは荒れ地の魔女で、けして自分ではないけれど。自分の巻き添えでこうなったのだから、結局は同じことだ。
よりによって老婆へ変えられてしまうだなんて。
自業自得とはいえ、それはあまりにも辛いよ。
きみは、ぼくをけして赦しはしないだろうね。
一日中、城の掃除で疲れきっているのだろう。
今やソフィーは深い眠りに落ちており、すうすうと規則正しい彼女の寝息だけが、ハウルの耳に響く。

「………………………………………。」

彼は、男にしては綺麗な長い睫を静かに伏せた。
もし今の彼の姿を見る者がいれば、あまりにも沈痛な表情をしているのに息を呑むことだろう。
ハウルはひとつ小さく息を吐くと手早くカーテンを閉じる。
無意識にきゅっと唇を噛み締めた後、くるりと踵を返し、カルシファーへと予告したまま風呂へと続く階段を上がっていった。

2005/03/11