瞬く星




夜気を含んだ涼やかな風がひとつの影−−それは薄手の寝間着姿の星色の髪の乙女−−をやさしく撫でていく。
肩先までの銀髪をなびかせて少女は空を仰いだ。
昼間は皆でお茶を囲んだり、マダムがお昼寝したり、マルクルとヒンが仲良く走り回ったり、カルシファーが暖炉で微睡んでいたりと賑やかな場所なのだが、時間帯が時間帯なのでそこは人の気配もなく静寂に満ちていた。
人気のない屋外へ開放された庭園のバルコニーの手摺部分に少女の手が触れる。
まあるい月と、瞬く無数の星たち。
まるで生きているかのような、命を感じさせるかのような活き活きとした星の光に、彼女は声もなくただただ見蕩れていた。なので当然ながら、何時の間にやら自身の背後に長身の影が近付くことに気付かなかった。

「こんなところで何してるの、ソフィー?」

少女を吃驚させないようにやわらかい口調で語りかけたのは耳に心地良いテノール。
耳に馴染んだその声は、彼女のだいすきなあの人の声。
背後からまわされた彼の両腕が彼女の体を捕らえる。
彼の腕の中にすっぽりと包み込まれる時、密やかに花の匂いがした。
彼が好んでつけているヒヤシンスの香り。
薄い寝間着越しに感じる彼のぬくもりがとても愛おしい。

「ベッドを抜け出してぼくに内緒で夜の散歩かい?
素敵だね。でも今度からはぼくも一緒に誘ってくれると嬉しいんだけど?」

目が覚めて君が隣にいないなんて悪夢以外のなにものでもないからね。
臆病なぼくにとってはそれはとてつもなく恐ろしいことなんだから!
だから、ぼくの心の平穏の為にも、ぼくを置いていっては駄目だよ?
ちょっぴり戯(おど)けて耳元で囁くテノールに、ソフィーは内心困ったものだとため息をつく。
もう、もう、なんだってこの人はこんなに色香に溢れてるのよ。
お日様が燦々と降り注ぐ、明るい日差しの中であれば単なる惚気だとか、いつものように戯れついてきてるだけと思い込むことだって出来るのに。時間帯が違うというだけで、誰もが寝静まった深夜であるというだけで、どうしてこんなに違って見えてしまうんだろう。
実のところ、夜を共に過ごしたこと数は片手の数より多くなってきてはいるのだが。
それでもなお、気恥ずかしさが抜けない。
だって、普段の彼と夜の彼は違うのだ。
その…なんというか説明するのは酷く難しいのだが、気配とか雰囲気とか近くに寄って来られただけでもどきっとする瞬間がある。というか、どきどきしっぱなしのような気も…。
あんまりにも彼を意識し過ぎているのが苦しくなって、ソフィーは喋り出す。

「……ごめんなさい、ちょっと眠れなくて。…その…星を…見てたの。」

「そうなんだ。」

「……むかしはね、そんな眺めたりとかはしたことなかったのよ。
がやがや町の私の部屋の窓から見える星は、こんなに綺麗に見えてなかったような気がするの。」

仕事に追われて、忙しい時はそれこそ夜も更けて遅くなっても、ランプの明かりをたよりに帽子の製作に明け暮れていたあの頃。きっと、あの頃のソフィーには星空を見上げる精神的な余裕もありはしなかっただろう。
生きることに何の意味も喜びも見いだせなかった自分。

「不思議よね、…星は同じはずなのに、こんな風に違って感じられるだなんて。」

綺麗なものを綺麗と感じるのも『心』があってこそ。
あの頃の自分は生きているのに、半分死んでいるかのようだった。
世界は灰色みたいに色がなく、くすんだものに見えた。
色んな物事に関して諦めていたせいもあるんだけど。
今なら、見方によって同じものでも違う見え方があるというのをソフィーは知っている。
否、知ることが出来たというべきなのか。
今、自分を包むこの優しい腕の持ち主、動く城の主である魔法使いハウルその人によってたくさんの感情を引き出され、それは苛立だったり怒りだったり呆れだったり喜びだったり嬉しさだったり、それはもうあらゆる感情を彼は自分に思い出させてくれたのだ。
自分でも吃驚するくらいに。
昔のソフィーを知る人がいればその変わり様にそれはそれは目を丸くするほど。
いい意味で彼女を変えた。

「…ぼくも…綺麗だって思うようになったのはつい最近のことだよ。」

「え?」

「…綺麗だって心底感じられるようになったのはソフィーのおかげさ。
君がぼくに心臓(心)を戻してくれたあの日から…。
世界はとても違って見えたよ。」

「……………」

「世界はこんなに光に溢れて美しいものなんだ、ってね。」

「…………………………………・・・・・・・!」

「ソフィーがぼくの世界を変えたんだ。とても素敵だよね。
そして、ぼくがソフィーを変えたってことなら、こんな嬉しいことはないね!」

ぼくにとって君は必要不可欠な存在で。
それは、幼い頃に出会った頃から予感はしていたけれど。
ぼくにとってそんな大切な存在の君が、
ぼくを特別に思ってくれていることが、
この上なく心踊らせてぼくを幸せにしてくれるって、君は知っているのかな?
くすくすと蕩けそうなほど幸せそうな笑顔で笑うハウルと、つられたように笑い出してしまったソフィー。
少し前までの孤独な一人どうしではなく、
自分の幸せを掴みとった二人がそこにいた。

2005/06/30