ほしいもの







ぼくの彼女はたいそう欲が無い人だ。
普通の女の子が欲しがりそうな喜びそうな極上な手触りのふんわりした素敵なドレスだとか、キラキラ輝く色とりどりの宝石だとか、精緻なレースをあしらった可愛らしいリボンだとかにはまるで興味が無い。否、多少は興味はあるだろうけれど、絶対に欲しいとか何が何でも手に入れたいとか、ある意味そういう積極的な気迫みたいなものは全然ない。
きれいなものはきれいと認めるくせに、けして自ら欲しがったりはしない。
ぼくの恋人はそんな人。
とても、無欲な人なんだと思う。

そんな君だからこそぼくは何かを贈りたい。
君に喜んで貰えるような”なにか”を。

日常のささやかな出来事に喜びを見いだす君。
例えばそれは、昨日までは蕾だった花が咲き誇っている様を見つけて目を細めて嬉しそうにしている君だったり、小さな同居人のマルクルが苦手だったはずの食材をあの手この手の工夫で知らずのうちに食べれるようになったの見て自分のことのように誇らしげになっている君だったり、雲一つないとてもいいお天気に洗濯物がよく乾くわとうきうきと洗濯籠を抱える君だったり、どれもこれも他愛のない日常の夢のように眩く優しい場面ばかりだ。


ねえ、どうして君はそんなにやさしいんだい。
やさしくて無欲でちょっぴり頑固で、でも、君はやっぱりかわいいぼくの恋人。





銀髪の彼女がいれてくれた香りの良い紅茶を味わいながら、城の主の見目麗しい青年(本日の彼の服装はざっくりとした白いブラウスに黒のパンツに黒のブーツといった最近では見なれたごくごく簡素なものでしかなかったが、元の素材が良いので何を着ても様になっていた)が唐突に口を開いた。
「ねえ、ソフィー。何か欲しいものなんてある?」
「……あいかわらず、いきなりねえ。」
ぼくの言動に小首を傾げてちょっとおかしそうに笑う君。
そして、困った悪戯っ子を見るような目。
「ねえ…、答えて。」
真面目にね、と付け加えハウルはじいっと恋人の大地色の瞳を見つめる。
「とくに無いわよ?」
「なんでもいいから、教えてよ。ソフィーが欲しいものをあげたいんだ。」
「………私のほしいもの?」
「そう。ソフィーのほしいものだよっ!」
「なら、やっぱり”無い”としか言えなくなっちゃうわ。」
「ソフィー!!」
「だって、私いちばん欲しいものはもう貰ってるもの。」
「……だ、だ、だ、誰にいい!?」
彼女の言葉にさあああと顔色を失った青年がわなわなと震える唇で恋人に詰め寄った。ソフィーの両腕をがっしと掴んだままで酷く動揺した様子のハウルに、またこの人は何を勘違いしてるんだろう…と内心で思いながらソフィーはひとつため息をつく。
「あのねえ、なにをありもしない事を想像してるのかは知りませんけど、ハウルが考えてるようなことは何にもありませんからね!それに、厳密に言えば”もの”っていうわけでもないし。」
「……………………………………………………………。」
「……もう、そんな目で見ないで頂戴。」
まるで雨の中打ち捨てられた子犬のように頼りない目で見つめる弱虫で臆病な恋人を目の前にして、ほんとこの人ってこれでも27歳なのかしら詐欺なんじゃないの、とソフィーは思う。黙って立っていれば本物の王子様よりも王子らしいくせに。
普段から、我侭で弱虫で臆病で時に砂を吐きそうな甘い台詞を恥ずかしげもなく垂れ流し、時には厄介以外の何者でもない緑のねばねばを出し綺麗に掃除した部屋の中をあっという間にめちゃめちゃにしてしまうような、言うなればたいそう手のかかる困った人なのである。この目の前の城の主ことハウルという人物は。本当に冗談抜きで困った人さ加減に本気で喧嘩することも幾度となくあったし恐らくこれからもそうなのであろうが、それら全てを含めてそれがハウルという人なのだ。そして、どうしようもないことに自分はこの魔法使いがすきなのだ。心の底から。恋は盲目とはよく言ったもので、肝心なことは何も言わないぬるぬるうなぎなどうしようもない人だけれど、人に見せない優しいところがあるのを知っているから、だいすきなのよ。
「ハウル」
彼の名を呼ぶ。
それはほんの少し前までは、町で広まっていた恐怖の代名詞だった。若い娘の心臓を食らうという恐ろしい忌わしい動く城の魔法使い。でも人の噂なんてあてにならないわ。だってこの人はほんとうはとても優しい、悲しくなるくらいに優しすぎる人だから。
「…………………」
薄青のきれいな目を潤ませて、彼はソフィーの言葉を待っている。
「わたしね、今さら欲しいものなんて無いのよ。欲しいものは全部あなたに貰ったから。わたし、今、こうしてこのお城でみんなと一緒にいられるだけでとても幸せなの。」
「……」
「ずっとね、心の中で思ってた。わたしだけの事を見てくれる人が欲しいと思っていたの。長女なのに随分と大それた願いでしょう?でもハウルが叶えてくれたわ。あの時の言葉をあなたが覚えてくれていて、ずっとずっとわたしを待っていてくれたわ。そして、わたしの目の前に現れてくれた。」
そこで一度ソフィーは言葉を切った。
「とても長い間わたしはあなたを待たせたわ。それなのに、そんなわたしの目の前にあなたはこうして居るじゃない。これってどんなに幸せなことなのかしら。あなたに分かる?」
「…ソフィー」
彼女を掴んでいた彼の両腕から力が抜ける。
自由になった自分の腕を動かしてソフィーは彼の頬に手を沿わせた。
目線をそらさず正面からじっと彼の綺麗な薄青の目を見つめる。
「ものではないけれど、ハウルが此処に居てくれるだけで十分わたしは”欲しいもの”を貰ってると思うの。だから、それ以上なにか欲しいという気持ちは無いの。」
最後にちょっと悪戯っぽく微笑んでお解り?といった表情を浮かべたソフィーにハウルは目を嬉しそうに細めた。ながいながい説明の中に目には見えない彼女の確かな想いが見えるような気がして。
「ソフィー、君ってぼくを喜ばせる天才だね。ねえ、そんなに喜ばせていったいどうするのさ。」
彼女の手を優しく引きはがし、彼は指先に触れるだけのキスを落とす。
その顔は嬉しくってたまらないというような蕩けるような表情で彼の実年齢を何歳も幼く見せていたけれど、とてもかわいいいとソフィーは思った。
「これはもう、ソフィーに責任を取って貰わなくっちゃね!」
なにを…と続くはずだった彼女の言葉はハウルがいきなりソフィーを抱き上げたことで悲鳴へと変わった。美貌の青年は彼女のつむじに額に頬にと所構わずキスの雨を落とし、腕の中の恋人の薔薇色に染めった顔を見遣ってたいそう満足そうに微笑んだ。さっきまで泣きそうに目元をうるうると潤ませていた人物とは思えない変わり身の早さだ。
「せ、せ、責任ってなによ!?」
じたばたともがく彼女を、ぎゅうぎゅうと力強く抱き寄せる青年の耳元でソフィーは声をあげるのだが、魔法使いはちらとも気にせず彼女を抱えたまま階段をのぼり二人の寝室の扉をくぐる。
「え、ちょっ!? 嘘。今お昼なのよ!!な、な、な、なにするつも…」
混乱の極みにある彼女の呂律は果てしなくたどたどしく、それでも何を言わんとしているのかは解るのだが、魔法使いにはあいにくとその言葉に耳を貸す気はなかった。
「ちょっと、黙ってて」
「……んっ!!!」
「君がわるい。ぼくの心臓をこんなに驚かした君がわるいんだ。だから責任をとって貰うよ。いいね?」





その後、怒りまくったソフィーに丸3日間口をきいてもらえず無視され続けたハウルが土下座して謝り倒したのはまた別のお話。

2005/07/31