僕を求めて、必要として。




「ねえ、ソフィー。どうして君はそんなに頑張るの?」
城の主の唐突な問いかけに洗濯物を抱えた少女は少しだけ首を巡らし彼に視線を合わせる。いつの間に二階から降りてきたのか、そこには滅多に朝には起きて来れない魔法使いが立っている。おそらくは寝起きなのだろう。少し寝癖のついた漆黒の髪もそのままになぜか酷く不機嫌そうな顔をしていた。
「おはよう、ハウル。珍しく早いわね。」
「…………。」
いつもならおはようのキスを煩いくらいに強請(ねだ)るのに今はいつになく真剣な表情でソフィーの答えをじっと待っている。そんな彼の様子に彼女は洗い上げてあとは干すのを待つばかりの洗濯物の入った籠を黙って手近の机の上に置いた。無視するには今の彼の目は些か真剣すぎた。
「そうね、どうして…って言われても困るんだけど。」
随分と小さい頃から自分でかけてきた呪いのせいもあるかもしれない。
ことあるごとにつけソフィーは心の中で繰り返した言葉がある。

――だってあたしは長女だもの。
――しっかりしてなくっちゃいけないわ。

母さんが亡くなった時は母に代わって妹に気を配るように、と。自慢のかわいい妹だったのもあるし姉としてできるだけのことはしてやりたいと思ったのも事実。父さんがなくなった時には父の残した帽子店を当然のように自分が継いで頑張ろうと思った。特にしたいことがあったわけでもないし父との思い出のある帽子店をむざむざ閉めるのは忍びなかった。いつでもどんな時でも自分の感情は後回しになっていたのにも気付かず。さして疑問にも思わずに過ごしてきた。自分がすこし我慢すればうまくいく。それで万事がうまくいくのなら…。
「………性分…なのかしらね。」
ちょっとくらい体調が悪いくらい大丈夫。
そう、今もそんな無理をしているわけではない。
この洗濯物をかたづけていつもどおり掃除をしてもう少ししたらお昼の用意をして、それが終わったらすこし休めば…。
「ソフィー、君の長女という呪縛はもうとっくに解けてしまっていたと思ったんだけど。どうやら僕の思い違いだったみたいだね。」
「ハウル?」
青年の手がにゅっと彼女の体に伸びると、いきなり彼女を抱え上げられた。
「〜〜〜〜〜っ!!!!」
吃驚して言葉も無い彼女を、一見すると華奢とも思える青年の腕がしっかり抱え込んでそのまま階段を通過して二人の寝室へと向かう。
「ちょ…放して、降ろしてちょうだい!」
「聞かないね!」
寝台へどさりと降ろされたと思ったら腕を掴まれて寝台に押し倒された。
いきなりな展開にソフィーは制止の意も込めて彼の名を叫んだ。
「ハウル!!」
「君はなんだってそんなに我慢するのさ。僕が気が付かないとでも思った?」
「なにを…言って」
男の人にしてはやけに綺麗な手がソフィーの頬を撫でる。額にかかる髪をやさしく払いのけると自分の額を彼女のそれに重ねた。
「ほら、熱があるじゃないか。つらい時にまで頑張らなくてもいいんだよ、奥さん。なんの為に僕がいると思ってるの?」
あっという間に自分の体調不良に気付かれてしまったことにソフィーがしゅんと項垂れた。心配かけたくなかったから黙っていたのに。
「………………ごめんなさい。…でも…」
「でも、じゃない。」
強い口調で断じられソフィーはきゅっと唇を噛んだ。
「……。」
「ねえ、ソフィー。君の綺麗好きも掃除好きも知ってるし今さら別に止めやしないよ。でも体調が悪いときは別だろう?」
ハウルの手がそっとソフィーの下腹部のかすかな膨らみをいとおしそうに撫でる。
「僕は君も君のお腹の子もとても大事なんだ。」
きっと僕の命以上に、ね。
「だから無茶なんてしないで。もっと僕を頼って、甘えてていい。」
その目はひどく真摯でとてもではないが反論できそうもなかった。
「なんでも自分でしようってする君は立派だと思うけど僕はちょっと寂しいよ。だってなんの為に僕がいるのか分からないだろう?」
僕は君に誓いを立てたんだから。
病めるときも健やかなるときも貧しきときも富めるときも、
いつだって君を愛するって。
少し戯けたように彼は言う。
「だから、ソフィー。ひとりで頑張らなくてもいいんだよ。」
僕はインガリー一の魔法使いだもの。
普段の僕はぬるぬるうなぎかもしれないけど、僕だってやるときはやるんだ。
目の前でにっこりと極上の微笑みをうかべる旦那様に、奥さんの目からは堪えきれない熱い涙が溢れ落ちては頬を濡らしていく。
「……ごめん…なさ…い…!」
彼は子供のように泣きじゃくる彼女をやさしく腕の中に閉じ込めて。
濡れた頬に唇を寄せ涙をぬぐう。
「ソフィーは我慢のしすぎ。だから素直になっていい。今みたいにね。」
でも勿論それは僕の前でだけだからね。
他の男の前でなんかしたら緑のねばねば出しちゃうんだから。
それはソフィーだって嫌だろう?
と、悪戯っ子のようにハウルが笑うのでつられたようにソフィーも笑った。
「そうそう。泣いてるソフィーもかわいいけれどやっぱり笑ってる顔が一番すきだよ、奥さん!」

2005/05/30