「キャラメル色。
 そういった方がきみには似合う」

リディアの髪を指に絡ませて微笑んだ彼の言葉。
それが、どれほど彼女の劣等感を拭い去ったかを、果たして言った当人は気が付いていただろうか。
否、きっと気付いていないだろう。 彼にとっての他人への賛辞ーー例えば目にとまった御婦人を褒めそやすことなどーーは雑作もないこと。常に自分の見せ方を心得ていていかにして他人の心を掌握するかを計算し、柔らかな物腰と麗しい微笑みと巧みな話術で他人を魅了する術を知っている。そんな人物の言った言葉なのだから迂闊に信用するのはどうかと思いつつも、お世辞でもそんな風に評してくれたことに、リディアが困惑しながらも同時にうれしく思ったことを、きっと彼は知らない。





caramel(キル)





鉄錆色。
心ない人は、自分の髪の色をそう評する。
どう言い表そうとも、到底『美しい』とはお世辞にも言えないのが自分の髪の色だ。父様と母様の、そのどちらにも似ていないその色を、自分自身でさえ好きだと思うことはほとんどなかった。どちらかと言えばコンプレックスー劣等感ーさえ感じていた。
それでなくとも、リディアに対する世間の風当たりは故郷にいた頃は強かった。それはリディアが妖精の存在をまったく否定しないからだ。普通の人には見えない妖精の姿が視えること、のみならず、彼等と話ができることをリディアは隠さなかった。彼女からすれば、普通の人の目には見えない存在であっても妖精の存在は確かにあるのだしーー実際、ニコという猫妖精は生まれた時から身近にずっといたーー自分が幼い頃に亡くなった母のような立派は妖精博士になりたい、という強い意思があってのことだが、残念ながらそれらが隣人たちに受け入れられることはなかった。

人間(ひと)は自分の目に映るものしか信じない。

たとえ、少々不可解な出来事に遭遇したとて、それを妖精と結び付ける者はまずいない。
妖精が人間と共存していた時代は、もはや『御伽話の中だけの存在』というのがこの時代の認識である。ゆえに目に見えない存在を視えると言い、余人には聞こえぬ妖精の声を聴くリディアは、一般の人からすれば異端でしかない。父は英国が誇る立派な博物学者であり、地元ではわりと由緒正しい家柄だったのであからさまに告げる者はいなかったが、親切心で妖精についてのアドバイスを話しかけるリディアに、町の人達はけしていい顔はしなかった。

カールトン家の変わり者。

それがリディアだった。
彼女にしても、けしてそんな境遇を望んだわけではなかったが、莫迦にされようと気味が悪いと思われようと家族以外の誰からも理解されなくとも、母のような立派な妖精博士になりたかった。
もし、妖精のトラブルに巻き込まれ困った人がいれば手を差し出せるように。
今は誰も振り向いてくれなくとも、自分の能力を必要としてくれる人がきっと現れる。
妖精が視えて話ができるリディアを怖がらず気味悪がらず、普通の人間のように接してくれる人が、いつか。
母様が父様に出会って結ばれたように。
ありのままのリディアを理解してくれる人が、いつかきっと…。
自分の持って生まれた能力を否定するのは、母を否定し自分自身をも否定することになる。

(そんなの嫌。)

自分を偽りたくはない。
そのせいで孤立したとしても。
あたしは、母様の娘なんですもの。
それでも、人間の友達ができないのは正直寂しかった。
妖精の友人はたくさん居たけれど…。


そんな自分が、今ではどうだろう?
懐かしい故郷のスコットランドを離れ、半ば強制的にではあるが、自分とは場違いなロンドンに居る。
妖精が見えることを公言しては変わり者のレッテルを貼られ人々から疎外されてきたリディアに、今では理解の色を示してくれる人がいる。
それがエドガーだ。
不思議な存在を信じないくせに、目に見えないものの存在を否定するくせに、そこに確かにあるという事実は受け入れる人。実際、彼には妖精は見えていない。見えない存在は無いものであるはずなのに、リディアがそこに妖精がいるのだ、と告げるとそうなのか、と受け止める。当たり前の事実として。

変わってる。

リディアはそう思わずにはいられなかった。
そんな風に受け止めてくれる人なんて家族以外ではいなかった。
いつだって誰だって妖精の存在を告げると、胡乱な目でリディアを見たのに。
だから、本当のことを言うとエドガーのことを少なからず好意的に思っている気持ちはある。出会いが出会いだったので、彼の言うことを全て信じられはしないけれど。

だって、彼は嘘つきで悪党だ。

きらめくような金髪に艶やかさを宿す灰紫の瞳の美貌の青年、エドガー・アシェンバート伯爵。
その地位は彼本来のものではない。嘘を塗り固めて無理に手に入れたもの。元は悪党。伯爵の姿は見せ掛けだけの話で、目的の為ならば非情な決断も下せる容赦ない人物。利用できるか否かで人を判断し、利用できるものならば最大限に利用する。用が終われば、興味を失った玩具のごとく打ち捨てることも少なくないだろう。人を欺き、時には手を下し命を殺めることも厭わない。自分や仲間が生き残るために。そうならざえるを得なかったし、そうしないと生き伸びられなかった非情な過去があったからだ、と聞いている。
けれど、彼は極稀に嘘ばかりの中に一欠片の真実を混ぜることがあるのだ。傷付いた目で、冗談混じりで本当のことを告げる。それが真実だとけして知られぬくらいにひっそりと。

『 気付かないで、でも気付いてほしい』

なんて分かりにくいメッセージなのよ!
もう少し自分の気持ちに素直になりなさいよ、って時々感じることもある。あたしのことを婚約者扱いをしたがるのも、顔を会わせれば甘い口説き文句をかけてくるのも、嘘ばっかり。妖精博士としてのあたしの能力を欲してくれるのは、よく分かる。偽りアシェンバート伯爵だからこそ、妖精との交渉能力のある妖精博士を引き止めたいっていうのは重々承知してるつもりだ。でも、それなら正式に雇うだけで十分なのに(あたしは妖精博士として正当に働ける場を与えられるだけですごく嬉しく思ってる)なにを血迷ったのか「結婚してくれ」と彼は言うのだ。
否、血迷っているわけでない。
妖精博士であるリディアをずっと自分に繋ぎ止めておく一番の方法が「結婚」だっただけ。リディアを繋ぎ止めるこれ以上無い確かな手段の一つとして、自分と結婚してくれ、と彼は言うのだ。

(なんて失礼な話なんだろう!)

リディアは怒っていいはずだ。 別段、人生に夢や希望を持っていたというわけではなかったが、理想としては父様と母様のような愛しあえる人と一緒に結婚したいと願っていたし、今だってその気持ちに変わりはない。なのに、エドガーはそんなことを言う。

本気だと。
本当にあたしを好きだと。

でも、そんな言葉をどうして信用できるだろう?
損得勘定を計算して行動する人が言う言葉だ。彼にとってリディアの能力が得難いものだからこそ、なにを変えても手にしたい能力だからこその言葉なのだ。彼が真実、リディアを好きなわけでも本気であるわけでもない。
ただの口先だけの言葉。
そんなものは欲しくない。
気持ちを、彼の心ごとリディアにくれるというのなら、もしかしたら頷けたかもしれない。でもそうじゃない。どれだけ彼が本気だと言っても、会えばこちらが恥ずかしく感じるような口説き文句を耳元で囁いても、頷くわけにはいかない。だって、もし頷いたら、それはリディアにとって永遠の片思いが確定するだけなのだから。

は…っ!

片思いなんてあるわけないわ。
だって、あたしはあいつのことなんて何とも思ってないんだから!